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民工から世界に羽ばたく=中国現代アーティスト王慶松氏

コラムY! 2008/11/17(月) 16:17
写真を大きくする
民工から世界の第一線で活躍するアーティストへ 前編

  日本にいると、中国現代アートの盛り上がりは想像しづらいかもしれない。なぜ中国で現代アートが躍進したのか、今後はどうなるのか、当のアーティストたち関係者はどのように見ているのか? 今回は世界の第一線で活躍するアーティスト・王慶松さんに聞いた。


――相変わらず忙しいようですね。

  最近は海外に行く機会が多いです。今年秋からだけでもロンドンとオーストリアに行きました。ロンドンでは劇場の開幕式に合わせて撮影作品を作りました。かなり前からの話で、下見でもロンドンを訪ねました。オーストリアでは来年の展覧会で美術館の壁いっぱいに作品を貼ることが決まっていて、その打ち合わせをやりました。ほかにスペインからも話がありますが、なかなか時間が取れません。

――展覧会に招かれるだけでなく、向こうで作品も作っているのですね?

  ここ数年増えています。今年は他にもフランスのディオールと合作もしています。ただ、創作は主に北京でしますから、ずっと向こうに滞在することはできません。行ったり来たりで時間を作るのに苦労します。

――代表作の一つ「Follow me」はヨーロッパでもかなり有名ですね。50万ドル以上で取引されたとか。

  それはオークションでのことです。ぼくのあの作品での収入は2万ドルでしかありません。とは言っても以前なら考えられなかったことです。

<貧しい生い立ち>

――10年前には想像もつかない最近の活躍ですね?

  もっと言えば20年前であれば美術をやっていることすら想像がつきません(笑)その頃のぼくは湖北省の山奥で石油採掘の労働者でした。美術はもちろん、都会に出ていることすら信じられませんよ。海外に行くことも。

――王さんは湖北省の貧しい地域の生まれでしたね?

  山奥の貧しい所でしたが、さらに言えばその村でも一番貧しかったのがぼくの家で、からかわれたりもしました。今でも故郷にはいい思い出がないんです。ぼくが中学の時に父親が亡くなり、読み書きができない母親がすごく安い月給で一生懸命に働いて家計を支えました。肉も満足に食べられない生活です。確かに貧しい地域でしたが、そのような家はうちぐらいでした。兄は家計を助けるために中学を出て就職し、ぼくは兄弟の中で比較的成績がよかったので家の中で期待されて高校に行けました。比較的成績がよいと言ってもクラスでは中の下ぐらい。一生懸命勉強したのですが、勉強をするような環境になくて、成績は悪かったです。

――現代美術と出会ったのは?

  高校を出て、石油採掘の労働者になってからです。85年のことです。中学の頃から美術に興味を持ちましたが、当時は労働者になることを当たり前だと思っていました。真面目な労働者になりたかった。でも、真面目に働いてもまったく浮かばれない社会を知りました。その頃に現代美術と出会い、なんとしても大学に入って美術をやりたいと次第に思うようになりました。

――最近の若い画家はたいていが裕福な育ちですよね。珍しい存在です。

  民工の気持ちはよくわかります。ぼく自身が民工でしたから。そのことや当時の社会に対する思いは今もぼくの創作の原点だと思います。

<北京のアート村>

――89年に四川美術学院に入学し、93年に卒業。広告会社に配属されるものの創作したくて北京へ行きますね。

  労働者として嫌と言うほど社会を知らされたので、せっかく大学まで行ったのだし、創作をしたいと思いました。ただ当時、大学生は国の配属命令で就職しますから最初はそれに従いました。しかし、北京でフリーの画家が集団生活している村があると知って、ためらうことなく行きました。94年のことです。

――円明園画家村(※)ですね。

  そうです。行ったはいいものの、何のコネも収入もないわけですし、生活を維持するのだけで大変でした。夕食は食堂が捨てた麺をゆで直して食べるなどというのが普通でした。ぼくが行った頃はすでに大勢の画家がいて、毎晩のように飲み会が行なわれていて、創作どころじゃなかったです(笑)。狭い部屋の1つのベッドに仲間の画家と2人で寝る生活でしたし。でもそこで自分のやるべきことが見えてきたと思います。

――その後、宋荘に移って、その頃から現在の作品にも近い撮影作品を作り始めますね。

  そうです。初めのうちはコンピュータを用いて合成したコラージュの作品です。それからやがて大きなセットを作って撮影する作品に変わっていきます。

――コラージュの頃と大きな舞台での撮影とでは王さんの考え方は大きく変わったのでしょうか?

  根本は同じだと思います。批判性を示すことと、中国の美術作品ですから人間を描くこと、それに自分をも批判するために登場させること。ただ、批判と言っても、時代が経つにつれて批判の方向性も複雑になってきます。一面的な批判だけで描けるような世の中ではありません。もっと多面的な解釈の余地がある作品を作っていこうと、コラージュをやりつつ徐々に作品のスケールを大きくしていきました。それがやがて大がかりなセットを作って写真を撮るようになったわけです。(聞き手、文責:麻生晴一郎 企画:サーチナ・メディア事業部)

■民工から世界の第一線で活躍するアーティストへ 前編|後編

※円明園画家村……80年代終わり頃に北京郊外、清華大学付近の農村集落で詩人・画家が集団生活をしたのが始まり。90年代前半に全国から大勢の若者が集まり、最大で2000人にもなるが、95年に強制立ち退きを受けて消滅。メンバーの多くが通州区の宋荘に移った。

写真上は、代表作の一つ「Follow me」(2003年)。大国化に向かう中国をさまざまな角度から諷刺した作品。下は、円明園画家村時代の王慶松(手前左。上は石頭、手前右は劉〓(山へん+争)、石頭氏提供)。

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王慶松(ワン チンソン)

1966年生まれ。黒龍江省で生まれ、湖北で育つ。四川美術学院卒業後、フリーのアーティストに。撮影アートでは世界的に知られる。北京在住。


【今日のブログ】日本人学生との交流で感じたこと
中国茶:コーヒーに浮気?〜おいしいお茶の淹れ方〜

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