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没収されても“毛沢東”を描き続けた北京の画家=張東 |
【コラム】 Y!
2008/12/08(月) 16:31
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中国現代アートのインタビュー連載。今回は長らく北京のアート村で活動する画家の張東さんにアーティストの生活ぶりや自身の作品を語ってもらった。
――最近現代アートの不況の話を耳にしますが、現場ではどうなのでしょうか?
北京で活動する人の場合、ぼくも含めて自宅とアトリエの両方を借りている人が多いですから、家賃を払い続けていけるのか不安だという話をよく聞きますね。
――張東さんも大変ですか?
もちろん大変ですよ(笑)。ただ、ぼくは昔から作品がそれほど売れてきたわけではないし、以前もやったように困難になったら他の仕事をやればいいと考えています。北京でアートをやるのはたのしいので、経済のことはあまり考えずにやっていきたいです。
――みなが貧しかった90年代の頃のようにですね。
アーティストが生活に苦しいと言うのはたんに作品価格が下がってきたからだけではなく、もっと根本的な問題があるように思います。10年前の頃のように純粋な気持ちじゃなくて、理想がカネになってしまったようなところがある。たくさんのカネを使って大がかりな作品を作って、売れなければ大変みたいなやり方では作品が売れようが売れまいがきつい生活だと思います。
<北京のアート村の生活>
――張東さんはずっとアート村で活動してきましたね。
94年に北京に来てから円明園、宋荘を渡り歩きましたからね。今は朝陽区の環鉄というアート街のアトリエを友人と共同使用しています。ここは比較的新しい所で工場の跡地を改装したアトリエや画廊が100軒近くあります。798の部屋よりも広くて大体1000平米ぐらいありますからアトリエ向きです。1室の家賃が月4000元(約5万6000円)ぐらいでしょうか。798からかなり奥まった林の中にあって、バスなど交通もありませんから、静かな環境ですね。落ち着いて創作するにはいい所です。
――最近の生活ぶりはいかがですか?
今は子供のこともあるのでわりと創作に集中していますね。家賃だとか養育費だとか創作にかける費用も含めて月に1万元(約16万円)は収入がほしいですから妻からも「もっと働け」と怒られています(笑)。午前中から描き始めて、夕方まで仕事をすることが多いです。以前のように飲み歩くことは少なくなりました。
――張東さんと言えば飲み歩く姿が浮かんできますが。
ぼくは最近仏教に関心を持つようになって、生活スタイルが少し変わりました。でも、今も飲み歩く人は多いですよ。ぼくだって昨年までは昼過ぎに起きて少し創作をやってたら誰からとはなしに今日はどこそこで飲むぞなどと連絡があって、10人以上の酒宴に日がな顔を出して朝帰りする生活でした。
――飲み歩く生活は疲れませんか?
いえ、それはそれでたのしかったですよ。北京でアートをやるおもしろさはいろんな活動をする人が全国から集まっていることですね。反体制もあれば、わりと社会に迎合する人もいるし、何か驚かせてやりたいみたいな人もいるし、ぼくぐらいの年代だと社会の宙ぶらりんな人が多いのに若い学生はまじめだったりして育ちや年齢によってもさまざまです。そういう人たちと会って刺激を得るのは幸せなことじゃありませんか。今は昔と違って展覧会などのイベントも増えたから余計に人が集まるところがありますね。ただ、90年代の円明園や宋荘と比べると、さっきも言いましたが純粋ではなくなった気がします。全員がそうだと言うのではありませんが。
――環鉄についても言えますか?
確かに798に比べれば静かで、そういう環境を求めて集まっていることはあります。でも、結局は同じです。絵が売れなければ借りているアトリエを引き払わねばならない、そのために毎日描く、でも売れるかはわからない。こんなサイクルで生活するのは90年代にはなかったことですよ。家賃も含めて生活費がタダ同然だったし、売れるアテが初めからなかったですしね。生活が自由でおもしろい所でしたね。
<毛沢東を描き続ける意味>
――張東さんと言えばずっと毛沢東の変わった作品を手がけてきましたね。以前は発表すらできませんでしたが。
90年代に発表できたのは1度きりでその時に全作品を没収されました。でも今は798などで展覧会に出せるようになりましたよ。デンマークの博物館にもあったりします。ぼくは大学時代に毛沢東の絵を描いて、それで退学処分を受けたので、以来一貫して彼を描いてきたんです。ただ発表ができないから99年頃から周囲がみな売れるようになってもぼくは例外でしたね。結婚したこともあって一時期他の商売をしましたが、ようやく経済的なメドが経って現代アートの世界に戻ったらあまりにも変わっていました。
――毛沢東を描くのはなぜなのですか?
毛沢東が中国できわめて大きな存在だと思うからです。その後の政治家とは違ったものが彼にはあると思います。中国は権力が強い社会で教育が一元的になりますが、もっと開放的な社会に向かうべきだと思うし、違った見方を掲示することが必要だと思うのです。
――最近は北京のアート市場でも毛沢東を描いた作品は増えましたね。
そういうものの中には外国人によく売れることが動機のものもずいぶんあるわけですが、それはそれで彼の影響力の強さを表しているのだとも言えます。ぼくも最近は彼の肖像ばかりを描くのではなく、ステンレスで肖像をつくってみたり、顔を省いて服だけを掲示してみせたり、いろんなやり方で表現するようになりました。毛沢東以外のたとえば市場経済なども題材にしようかと考えたりすることがあるのですが、おそらく結局はずっと彼を描き続けていくのではないかと思います。(聞き手、文責:麻生晴一郎 企画:サーチナ・メディア事業部)
写真は、環鉄にある張東さんのアトリエ。ここで寝泊りすることも多いという。作品のいくつか。写真下は、毛の衣服だけを描くシリーズ(写真手前)など、彼が手がけてきた毛沢東作品の数々。
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 | | 張東(チャン トン)
1966年、福建省出身。南京芸術学院中退後、北京で活動を開始、ひたすら毛沢東の風変わりな肖像画ばかり描き続け、ドタバタでたびたび警察沙汰になるなど奇行でも知られていた。00年あたりから北京の有名市場である潘家園や秀水市場で雲南省の民俗グッズ販売のビジネスを始めて成功する。05年よりビジネスをやめて現代アート界に復帰、北京在住。 |
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