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子供が生まれ失った思いを作品に込めて=女流画家・張慧

コラムY! 2008/12/22(月) 16:26
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  中国現代アートのインタビュー連載。北京の現代アート界で女性画家は少なかったが、最近は増えつつある。今回は女性画家として98年から活躍する張慧さんと夫の劉〓(山へんに争)に語ってもらった。


――張慧さんはずっと「北京娃娃」シリーズを手がけてきていますが、これらは張慧さんの自画像なのですか?

  関係はあります。私の顔を描いていると言うのではなくて、自分が生活で受けた感想を表しています。たとえば、タバコを吸っていたりするのは小さい頃に抱いていたちょっと反抗してみたい気分が入っていますね。額の傷は、人間が生きていくことはたえず傷つきながら成長していくことなのだと考えるようになって、成長の代償として入れたものです。ある時にふっと孤独感を感じるようなことも入っています。

――もともとは国画(水墨画)をやっていたのですよね?

  大学の専攻は国画でした。今の作品でも睫毛は国画の竹の葉を描く手法で描かれています。大学時代から自分の今の感想を表現したくて油画もやっていました。98年に北京に来て活動してからずっと女性を描いてきたのですが、過去の時代の女性を描いたりして02年頃から今の生活の中で女性である自分が抱く感情や悟りを描く今の作品になっていきました。

――ずっと女性を描くことにこだわってきたのですね。

  ただ、女性が男性よりも好きだというのではなく、自分が女性だから自分を理解するために女性を描いてきたと思います。男性、女性に関係なく人として描こうと思っています。それが私にとってはたまたま女性だったということです。

<珍しかった女性画家>

――90年代の宋荘アート村と言えば、男性の画家ばかりで女性はほとんどいませんでした。抵抗感はありませんでしたか?

  宋荘に住み始めたのは98年ですが、96、97年にも来たことがあります。当時は仕事を持っていたのですが、それを辞めて北京でアートに打ち込もうかと。ただ、周囲の人も全く収入がなくて苦しい生活でしたし、決めるまで2年間悩み続けました。

――女性が少ないのはなぜだったのですか?

  やはり生活が不安定で苦しいことと、普通の暮らしを親や周囲が望むからだと思います。私も北京に行くと決めた時には両親に反対されました。

――北京に来てからどうでしたか?

  99年に初めて作品が売れるまではなけなしの貯金が底をついて大変な暮らしでした。ただ、今の夫と出会い、好きな創作ができるのだから楽しい生活でもありました。創作をして友人の作品を見て、夜には友人たちと食事をする。こうした生活は楽しいです。

――結婚したのは何年でしたか?

  02年です。それから04年に子供ができましたが、生まれた時から心臓が悪くて昨年亡くなりました。いろんな事がありました。

――そう言えば昨年あたりから目をつむっている作品が多いですね。

  子供が生まれた時の喜びや失った時の辛さも全部作品に込められています。

<悲しみを乗りこえて>

――劉さんは92年からずっとフリーで創作してきたのですが、04年からしばらくやめていましたね。

  子供の世話をしていて、創作の時間がありませんでした。ぼくによくなついたし、どんどん体が悪くなるから、創作したいと考える時間もありませんでした。06年から比較的短時間でできる創作を再開しましたが、子供がなくなった後は手につかなくなりました。今も思い出すとダメです(無言になる)。

――最近ようやく創作に力が入っているのではないでしょうか?

  今年に入ってからですね。45万個のビロードを植え付けて上海の大都市を描いた作品を秋に作り終えたばかりです。

――劉さんと言えば、昔から特徴的な材料を用いた作品を手がけてきましたよね。また以前の元気な活動が見られるのかとたのしみです。

  宋荘、八里橋を経て費家村に移った頃は創作を中断していて、他の画家と会う機会もほとんどありませんでしたが、今は798芸術区に移りましたから、画家や美術関係者との往来も増え、以前の暮らしに戻ってきました。

――画家同士の夫婦はそんなに多くありませんが、作品の話はするのですか?

  しませんよ。一緒に住んでそういう話をするとどうしても喧嘩になってしまいますからね。でもぼくがおとなしい性格だから快活な妻がいてくれて助かっています。

――お2人の今後の抱負は。

  (劉)今は骨を用いた装置作品を作り始めています。少しずつ創作にがんばっていきたいと思います。

  (張)悲しいこともありますが、これからも「北京娃娃」を描き続けていくと思います。(聞き手、文責:麻生晴一郎 企画:サーチナ・メディア事業部)

  写真は、張慧さんのアトリエ内。「北京娃娃」シリーズ作品の前で。写真2番目は、張慧さんの作品。3番目は、ビロウドを植えて上海を描いた劉さんの新作。

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張慧(チャン ホエ)

1969年、天津市出身。四川美術学院卒業後、美術教師(天津)、広告デザイナー(広東)を経て、98年より北京でフリーとして活動。

劉〓(リュウ チェン)

1971年、河北省出身。河北師範学院美術系卒業後、92年より円明園芸術村で活動。現在は798芸術区のアトリエで活動する。


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